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広島原爆被災撮影者の会関連

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(ネガ34枚、ガラス乾板32枚、プリント152枚=218枚)
13 人と1機関が撮影した 218枚。1978年に発足した「広島原爆被災撮影者の会」(以下、撮影者の会)が収集したプリントや、撮影者の会に参加した撮影者たちが手元に残していたネガからなる。原爆投下時に広島市内や近郊にいた人たちが被災直後に見た状況を自ら写真で記録していることが特徴である。

撮影者は軍施設に動員されていた若者、広島県職員、もともと写真業を営んでいて戦時下で軍務にあたっていた人たちなどである。被爆当日に最も至近距離(爆心地から約 2.7 キロ)で撮られたきのこ雲[TFUKADA0001~0004]や炎上する市街地[GKIMURA0007]、翌日の市中心部の廃虚[MKISHIDA0002~0004]や皮膚が黒焦げになるほど大やけどを負った負傷者[MONUKA0001~0004]、放射線の急性障害の記録[GKIMURA0011~0017]などを含む。[YKAWAHARA0001]は8 月 9 日に負傷者であふれる臨時救護所の混乱を記録した。

現在、広島市がプリントを所有し、広島平和文化センターが運営する広島平和記念資料館で所蔵されている。多くのプリントについてはネガの所在が明らかでないが、岸田貢宜氏、木村権一氏、深田敏夫氏の写真のネガは後に本人や遺族を通じて広島市に寄贈されている。現在、公益社団法人日本写真家協会が国立映画アーカイブ相模原分館(相模原市)内で運営する日本写真保存センターに保存業務が委託されている。また、広島管区気象台に勤めていた北勲氏が撮影した写真のネガは、寄贈を受けた広島市の江波山気象館で所蔵され、岸本吉太氏が撮影した写真のガラス乾板は遺族から寄託を受けて広島平和記念資料館で保存されている。

なお木村氏撮影の16枚のうち8枚は、撮影者の会が集めたプリントには入っていなかったが本資料に加えた。いずれも戦後に日本に原爆調査に入った米軍関係者が収集して持ち帰り、1973年に米陸軍病理学研究所(AFIP)から日本側に返還された写真である。

資料に関する問い合わせ先 peacemedia@chugoku-np.co.jp