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中国新聞社関連

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(ネガ10枚、プリント7枚=17枚)
広島市が壊滅した当日、未曽有の惨禍を被った市民の生々しい姿をカメラに唯一収めたのが松重美人氏である。市内中心街に本社を置く中国新聞社の写真部に所属し、中国軍管区司令部(広島市)の報道班員も務めていた。当日撮影した5枚のうち御幸橋西詰めで撮影の2枚[YMATSUSHIGE0001、0002]は、1946年7月6日付の「夕刊ひろしま」(中国新聞社の関連会社が創刊)で初めて公開された。連合国軍総司令部(GHQ)による占領統治が明けた1952年、世界的な写真誌「ライフ」(9月29日号)が「米国で初公開」と銘打ち、御幸橋西詰めの写真を原爆記録写真特集の冒頭で紹介した。松重氏はネガを自宅で保管した後に中国新聞社に保管管理を託し、1998年に同社と譲渡契約を結んだ。2021年には1945年8月6日撮影の5枚のネガが広島市重要有形文化財に指定され、中国新聞社は保存を日本写真保存センターに委託した。

中国新聞社は撮影時にアルバイトで戦後に本社員として勤めた山田精三氏撮影のきのこ雲のプリント、同じく社員だった山本儀江氏、谷川長次氏の写真のプリントも所蔵している。山田氏は、きのこ雲の写真[SYAMADA0001]を爆心地から約6.5㌔北東の広島県府中町から撮影した。さく裂からわずか約2分後とみられ、地上から最も早く捉えたきのこ雲となった。松重氏の写真と同時に米写真誌「ライフ」に掲載された。

資料に関する問い合わせ先 peacemedia@chugoku-np.co.jp