(ネガ100枚、プリント26枚=126枚)
大阪本社写真部員で8月9日に広島市に入った宮武甫氏の106枚を含む。枚数は被爆1週間以内の広島の撮影者で最も多く、顔に大やけどを負った女性[HMIYATAKE0060]ややけどの手当てを受ける少年[HMIYATAKE0067]、遺体の火葬現場[HMIYATAKE0076]など被災状況をさまざまに伝える。
宮武氏は、連合国軍総司令部(GHQ)のプレスコード(報道統制)で原爆報道が制限された米軍主導の占領期、上司からネガの焼却を命じられたが、自宅の縁の下に隠してフィルムを守り通した。占領が解かれた1952年、「原爆被害の初公開」と題した雑誌アサヒグラフの8月6日特集号(発行約70万部)で熱線を浴びた女性[HMIYATAKE0060]などの写真が紹介されて広く知れ渡り、「ライフ」誌にも写真が収録された。ネガとプリントともに、東京本社で保存されている。同社出版局のカメラマンだった松本栄一氏の撮影分は20枚。やはり占領期に写真を守り抜き、同社大阪本社が写真プリントを所蔵している。松本氏の写真も同じアサヒグラフに掲載された[EMATSUMOTO0003]。
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