(ネガ11枚、プリント26枚 計37枚)
大阪支社編集部の記者だった中田左都男氏は8月10~11日、大阪支社写真部のカメラマンだった佐伯敬氏は9~17日ごろにかけて市内を撮影。焦土に横たわる死者を捉え、眼球が飛び出した悲惨な姿にシャッターを切った。佐伯氏が撮影した煙突1本のみを残して焦土と化した街を収めた写真[TSAEKI0010]は8月19日付の朝日、毎日の各東京・大阪本社版、読売報知など28紙に掲載され、初めて全国に被爆の惨状を伝えた一枚とされる。中田氏による焼けたトラック[SNAKATA0009]の写真は、20日付の読売報知など18紙に掲載された。9月初めには破壊された教会を含む写真[TSAEKI0006]が米国と英国の新聞にも掲載された。
同盟通信の後身である共同通信社には11枚のネガが現存しており、残りはプリントや複写したフィルム、デジタル画像として保存されている。戦後、米調査団に提出させられ、1973年に米国側から返還された資料の中から中田氏、佐伯氏が撮影した写真のプリントが見つかり、広島大学原爆放射線医科学研究所が所蔵している。
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