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広島流川教会

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識別コード YKAWAHARA0019
タイトル 広島流川教会
撮影者 川原四儀
撮影日時 1945年9月頃
撮影場所 上流川町(現在の胡町)
爆心地からの距離 870メートル
ネガの有無 ネガなし
所有者 広島市
保管・管理者 広島平和記念資料館
写真説明 中国新聞社新館屋上から北北東に向かって。1927(昭和2)年12月日本メソヂスト広島中央教会として竣工した会堂は、ゴシック様式で広島の教会としては初の鉄筋コンクリート造で設計は生涯伝道師を全うしたウィリアム・M・ヴォーリズであった。都市のランドマークにもなった教会も、谷本清牧師を除く4人が倒壊した建物の下敷になったが辛うじて脱出一命をとりとめた。廃墟となった会堂を使って、翌1946(昭和21)年には聖日礼拝を始め、世界的大反響を呼び原水爆禁止運動の火つけ役ともなったジョン・ハーシーのルポルタージュ「ヒロシマ」に谷本牧師は登場、牧師は2度の渡米でノーモアヒロシマとともに教会再建の募金活動も展開し、1952(昭和27)年会堂復旧をはたした。後方にうつる黒い建物は迷彩が施された広島中央放送局。右の白い建物は久村邸
文献掲載・展示実績 広島平和記念資料館平和データベースで公開、「広島壊滅のときー被爆カメラマン写真集」(1981年)
注記