識別コード | HMIYATAKE0071 |
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タイトル | ひん死の兵士たち |
撮影者 | 宮武甫 |
撮影日時 | 1945年8月10日 |
撮影場所 | 胡町(現在の中区胡町) |
爆心地からの距離 | 約710メートル |
ネガの有無 | ネガなし |
所有者 | 朝日新聞社 |
保管・管理者 | 朝日新聞東京本社フォトアーカイブ編集部 |
写真説明 | 原子爆弾で被爆した兵士たち。百貨店「福屋」に収容されたが、次々に息を引き取り、遺体は近くの空き地で火葬にされた。被爆直前、同百貨店は地下の雑炊食堂など、一部を除いて陸軍や統制会社、国の出先などに提出されていたため、直後から西練兵場などで被爆した多くの兵士たちが収容され、臨時救護所となった。爆心から至近で、木造兵舎や、外で被爆した兵士の多くは次々息を引き取り、同百貨店南側の臨時火葬場で荼毘(だび)に付された。その後、被爆者の中から血便を訴えるものが続出し、赤痢患者として、2、3階を臨時伝染病病院として患者を収容隔離した。約1ケ月後、これらの症状が原爆症の症状であったことが明らかになり、病院機能は解除された。戦後直後の1945年9月4日の朝日新聞社(大阪)に掲載された原爆が人体に及ぼす被害を最初に伝えた写真の1枚だ |
文献掲載・展示実績 | 朝日新聞1945年9月4日大阪朝刊、アサヒグラフ1952年8月6日号 |
注記 |
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