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「広島原爆の視覚的資料-1945年の写真と映像」の共同申請者6団体、並びに本サイトの構築に参加している申請資料の所蔵団体は以下の通りです。
人類史上初の被爆都市である広島市は、被爆の惨禍を経験した被爆者の平和への思いを原点に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を目指す取り組みを続けている。被爆者の平和への願いの原点である被爆の実相を伝える拠点である広島平和記念資料館は、原爆犠牲者の遺品などの実物資料2万2千点、ユネスコ「世界の記憶」申請資料を含めた写真7万点などを所蔵する。
広島市に本社を置く1892年創刊の日刊紙。1945年8月6日、原爆により本社が壊滅し、従業員の3分の1に当たる114人を失う。現在、広島県、山口県、岡山県、島根県、鳥取県、東京都などに計30余の本社、支社、支局を配置。
1879年創刊。新聞やデジタルメディアによるコンテンツなどを事業内容とする。国内外の取材網は、国内に4本社1支社、総局43、支局84。海外に総局5、支局21。原爆により広島支局も被爆した。
1872年2月21日創刊の東京日日新聞(東京で最初の日刊紙)を前身とする全国紙。1911年に大阪毎日新聞と合併し、1943年に「毎日新聞」に題号を統一した。2024年4月現在、東京、大阪、西部、中部の4本社と北海道支社、全国に支局・通信部を置き、海外に13拠点。原爆投下で広島支局は全壊全焼し、従業員4人が犠牲になった。
広島市に本社を置くラジオ・テレビ放送局。広島に原爆が投下された7年後の1952年ラジオ放送開始。1959年テレビ放送開始。東京、大阪、福山市、呉市に支社、支局を置く。
東京・渋谷と国内に計54放送局、海外に29の取材拠点を置く日本の公共放送。1925年3月に日本で初めて放送を行った社団法人東京放送局などを母体に発足。1945年8月6日、当時の広島放送局は原爆投下で壊滅的な被害を受け、職員34人がその日のうちに亡くなった。生き残った職員らが復旧作業を続け翌7日午前9時には放送を再開した。
国内、海外のニュースを取材、編集して全国の新聞社、NHK、民間放送局、海外メディアに配信する総合国際通信社。敗戦後に自主解散した同盟通信社を前身とし、1945年創立。東京都港区に本社、大阪など各都道府県の都市に支社や支局を置き、海外41都市に総支局を設置、10カ所に通信員を配置している。
広島の被爆者6団体、長崎の3団体と被爆者の全国組織である日本被団協の代表委員が本資料のユネスコ「世界の記憶」登録への支持を表明しています。
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