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日本映画社関連(動画)

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本資料に含まれる動画は、戦時中にニュース映画や文化映画の製作を一手に担っていた社団法人の日本映画社が9月から10月にかけて撮影した2点である。撮影の経緯は異なり、記録されている内容もそれぞれに特徴を持つ貴重な資料である。本資料の2点の動画については、撮影ネガは確認されていないが、いずれもオリジナルと位置づけられるポジフィルムである。

日本ニュース第257号 原子爆弾 広島市の惨害 (NHK関係資料)

日本映画社のスタッフが1945年9月、ニュース映画の撮影のために東京から広島市内に入り、壊滅した市中心街や爆心地近くの相生橋などを撮影した。1945年9月22日、「日本ニュース第257号 原子爆弾 広島市の惨害」(2分50秒)として公開されたのが本資料。日本が降伏文書に調印した翌日の1945年9月3日に昭和天皇の派遣で広島市内を視察した永積寅彦侍従の姿が写っており、この日に撮影された映像が含まれることが分かっている。日本で現存が確認されている原爆投下から最も早い時期に撮られた動画である。日本放送協会(NHK)が1978年、日本映画社から本資料の権利を継承していた日本映画新社からニュースに編集されたフィルム原盤とすべての権利の譲渡を受け、保存管理している。

NHK特設サイトへ

資料に関する問い合わせ先 MCG-gaiburenraku@li.nhk.or.jp

学術調査に伴う記録動画フィルム(中国放送関係資料)

日本映画社は1945年9月下旬から10月にかけ、文部省が学術研究会議(後の日本学術会議)の中に設置した「原子爆弾災害調査研究特別委員会」の学術調査団に補助機関として同行し、調査団の活動を追いながら広島の被災状況を撮影している。この間に広島で撮影された約110分間の未編集のフィルムが本資料。

広島での撮影は、文化映画部のスタッフが「原爆被災記録映画」の製作を目指して企画を主導した。学術調査に同行しての撮影は約1カ月間に及び、爆心地付近を含む市内各地の被災状況を収めた。熱線によるやけどや放射線の急性障害といった人体影響が多角的に記録されている。広島赤十字病院が主な撮影場所の一つであり、外傷ややけどの治療を受ける女性や、放射線の影響で髪が抜け落ちた子どもたちが記録されている。

日本映画新社で保管され、1995年に東京のテレビ局TBSと広島の中国放送が特集番組で報じた。その後、日本映画新社の権利を継承した日映映像が中国放送に寄贈し、中国放送は2013年に長期保存のために国立映画アーカイブに寄贈した。

中国放送特設サイトへ

資料に関する問い合わせ先 news@rcc.net